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zoom RSS 瀧廉太郎記念館 と 竹田の町並み

<<   作成日時 : 2009/08/09 12:29   >>

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大分県南西部の竹田市は、作曲家・瀧廉太郎が多感な少年時代を過ごした町で、
彼が荒城の月のインスピレーションを得たとされる岡城址が観光スポットになっています。

瀧廉太郎記念館の手前の角、上の写真右に写っているのが豊音寺の二重門。
町の通りから一本入ったところに、古い木造の大きな門が現れ、目を引きます。
廉太郎自身は21歳で洗礼を受けていますが、
瀧家の目と鼻の先の禅寺ですから、士族であった瀧家ともお付き合いがあったかもしれません。

このような景色の中で瀧廉太郎は暮らしていたのか、と思いを馳せつつ
瀧廉太郎記念館へ。

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記念館は、瀧廉太郎が12〜14歳のとき過ごした家です。

瀧廉太郎の父は日出藩の家老職の家柄の出で、明治政府の役人として活躍。
転勤の多い人で、廉太郎は東京で生まれ、横浜、富山、東京を経て、ここ竹田に
引っ越して来ました。

竹田の豊かな自然、町中を流れる水の音、竹の葉の擦れ合う音、小鳥のさえずり、
飛び石に響く下駄の音、荒れ果てた岡城のさま、そして、竹田の温かい人情が
音楽家・廉太郎の情感の基礎を築いたのでしょう、と紹介されています。

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竹田は芸事も盛んな城下町で、廉太郎の通った高等小学校には
当時としてはめずらしくオルガンがあったそう。

そして、横浜で外国人と接することも多かった瀧家には、珍しい洋楽器である
バイオリンもあり。 廉太郎の音楽的環境は豊かだったようです。

ここ竹田で、廉太郎は音楽家になる道を決意します。
父が驚いて、「音楽家になるには難しいかもしれない。なれなかったら何になる?」
と聞いたら「そしたら歌舞伎役者になる」と廉太郎は答えたそうです。

当時、東京に住んでいた廉太郎の従兄の瀧大吉が、廉太郎の父を説得してくれ
廉太郎は14歳で、竹田を離れ、東京の大吉宅に身を寄せ、
翌年、東京音楽学校(今の芸大)の予科に入学。
予科を一年で修了し、16歳という最年少の年齢で、本科に進学します。
明治28年(1895年)のことでした。

廉太郎はピアノと作曲を学び、在学中から多くの児童唱歌を作曲。
当時は、西洋の民謡曲を輸入し、日本語の歌詞をつけて普及させることが
多かった中で、日本オリジナルの曲をつくろうと励んだようです。

かつ、難解で、歌っている子供たちが理解できない古い歌詞ではなく
平易で親しみやすい曲を心がけたといいます。
「もういくつ寝ると お正月♪」も然り。

20歳、研究科2年生で 彼の代表作・合唱組歌「四季」を作曲。
「春のうららの隅田川♪」の「花」が入っているあの有名な組歌です。

同じ頃、「荒城の月」「箱根八里」も作曲されています。

そして、21歳、明治34年(1901年)4月、ドイツ留学のため横浜を出航します。
同年5月、ベルリン到着。
  6月、ライプツィヒ到着。
  10月、ライプツィヒ王立音楽院入学。
・・・の矢先!
  12月、オペラ観劇でひっかけたらしい風邪をこじらせ、入院。

以降、どうやら、ずっと入院していたらしく、翌年7月に文部省から帰国命令が出ます。

ドイツ留学で音楽学校に通ったのはわずか2ヶ月ほどで、彼の主要な作曲活動は
その前になされていたものであったのだ、ということを知りました。

帰国後、大分市で勤務する親元に帰り、療養の中でも作曲活動を続けていましたが
その生活も半年ほどで、明治36年(1903年)、23歳の若さで、結核で亡くなりました。

現在の大分市府内のあたりに、「瀧廉太郎終焉の地」の碑が建っています。

なんとも惜しまれる早い死で、本人も無念であったろうな、と想像します。

なお、ジャーナリストの故・筑紫哲也さんは、瀧廉太郎の妹の孫にあたり
瀧廉太郎記念館の名誉館長をされていました。

記念館の庭には、バラの木が植わっていました。
廉太郎が留学したライプツィヒ音楽院がメンデルスゾーンの創設によるものであり
そのメンデルスゾーンゆかりのバラなのだそうです。
バラが咲く季節は、11月ころだそうです。

記念館のすぐそばに、「さふらんごはん」というお店があり
このお店の中に、メンデルスゾーンのバラが咲いている写真が飾ってありました。
可憐な小薔薇がたくさん咲いていました。

ちなみに、この「さふらんごはん」、記念館のお姉さんに薦められて
ランチのために訪れたのですが、外観は新築で仮に建てられた定食屋のようでいて
中は簡素なカウンター席。 食器棚やカウンター中の厨房の様子は、やはり定食屋の風情なのですが
出されるメニューが カフェプレート。 600円で、なかなか女性好みな、こまごま充実した内容で
和洋折衷、デザート付、さらにサービスで梅ジュースもいただきました。
しっかり夕方まで、カロリーが持つような内容。

お店は3人のご年配の女性陣で運営されていて、スカーフを頭に巻いて
腰までのエプロンを粋に結んでいる様子は、やはりカフェ風。

お客様は地元の方々らしく、4−5名で何やら行事の打ち合わせをしつつ
ランチを食べていました。 お店の女性陣も話に加わりつつ。

アットホームで温かな雰囲気でした。

店を出て、町の通りへ戻る途中に、瀧廉太郎トンネルがあります。

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体温センサーがついていて、人が通ると、「荒城の月」などの音楽が鳴る仕掛けのトンネルです。

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市立歴史資料館の脇に、水の流れる音が 夏に爽やかな 階段があります。

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歴史の道の入り口です。

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この道の先に武家屋敷跡があります。

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どの家も、現役で人が住んでいます。 立派なお宅が軒を並べています。

この武家屋敷の通りから一筋入ったところの奥に、キリシタン洞窟礼拝堂があります。

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うっそうとした中に、礼拝のための洞窟が掘られていて、フランシスコ・ザビエル布教の地で
隠れキリシタン文化があったのだなあ、という歴史が垣間見れます。

洞窟前の説明看板によると、藩の役人も神父の潜伏を知りながら見ぬふりをしていた
とのようで、平戸や島原のように悲壮な感じがしません。

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今も白壁の商店が残る町並みを歩いて、
廉太郎の音楽性が育まれた環境に 心を近づけようとしてみました。

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