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zoom RSS 日本人のルーツ 『騎馬民族は来た!?来ない!?』

<<   作成日時 : 2009/07/26 16:32   >>

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九州に住んでいて、天岩戸や天孫降臨、神武天皇東遷などの伝説の地を知り、
どうやら天皇家は九州出身と知ることとなったのですが

さらにその祖先は、朝鮮半島を経由して入ってきた北方騎馬民族であった
とする説があるんだよ、と、くだんの歴史好きのツアーリーダーが教えてくれました。

江上波夫先生の「騎馬民族説」といわれる学説ですが、
興味をもち、手軽に読める本を探して購入したのが
『騎馬民族は来た!?来ない!?』という本で、出版された年は1990年。

当時83歳の江上波夫先生と57歳の佐原真先生が、騎馬民族説と農耕民族説を戦わせた
対談の書き下ろし本になっています。

すでに20年近く前の本ですから、その後の考古学上の進歩により、
ここで議論されていることはもはや解決しているのかもしれませんが、
日本人の教養の一つとして「騎馬民族説」を知っておくことは意義があると考えましたので、
簡単にサマリーを記します。


まず、弥生時代初期、大陸から稲作を伝える人々が入ってきます。
これらは「騎馬民族」ではなく、「農耕民族」。
平和裡に入ってきて、支配する・されるという関係ではありません。

その後、時期としては、4世紀後半、朝鮮半島南部の国・任那(みまな)の王・辰王家が北部九州へ渡る。
辰王は朝鮮地元の人間ではないと中国の史書に書かれており、江上先生の考えでは、
この辰王家は東北アジア騎馬民族が入ってきて支配するに至ったものだとする。

そして、5世紀のころ、この辰王家が、畿内へ進攻して王朝を樹立した、とする。
このような経緯で倭の国王となったと考えれば、倭の五王の上奏文が中国に認められたのも合点がいく、と。
(倭の五王の上奏文とは、自分が倭だけでなく、朝鮮半島の他の国も含めた王だと
中国に認めてもらおうと出した上奏文のこと。)

江上先生が挙げている根拠は:

・古墳時代中ごろ(5世紀頃)、それまでとは明らかに異なり、古墳が規模壮大となり、
 大陸系とみられる石棺・木棺が出現し、大陸系の横穴式石室が登場。
 石室の壁が絵で飾られる。副葬品に、武器・馬具が目立つ。

・自分たちは天神の子孫だという。(騎馬民族の特徴の一つ)

・日本の村落には城壁がなく、家屋が永久性に乏しく、遊牧民のパオに似ている。
・古代の日本人は白衣をまとった。白衣は騎馬民族の常服。
・古代の日本人は新婦が火で身を浄めた。浄火の風習は騎馬民族にもある。
・古代の日本人は喪に際して自分の身を傷つける風習があった。これも騎馬民族に共通する。

・聖徳太子の冠位十二階制度(603年)。十二階は朝鮮式。
 (大化の改新以降はこれが中国式の十三階に改められる。)

・高松塚古墳(7世紀)。時期が大化の改新以降で国の法制が中国式に改められていたにもかかわらず、
 壁画の服装が朝鮮服。かつ、四神と動物画が混在しているのは朝鮮系。

・稲荷山古墳の鉄剣の銘。父系の子供の名で系譜を記しているのは、騎馬民族の系譜。
 農耕民族は出身や一族の名前が記される。

・藤ノ木古墳の出土品。豪華な馬具、歩揺(ほよう。吊り下げる飾り)が底についた大きな靴、
 騎馬民族の女性の頭に羽飾りをつけるクコとおぼしき金銅の筒。

・福岡県の老司古墳や池の上古墳群(5世紀)。石蓋墓という特徴は、東満州、北満・東蒙古に通じる。
 大陸系の横穴式。任那系土器も出土。

…などです。 

後半の古墳の遺跡からの説明は、1970〜80年代に入ってからの発見や発掘によって後からついてきたもので
もともと江上先生が騎馬民族説を唱えたのは50年以上前のこと。
考古学的証拠に乏しい仮説だったものが、後から考古学的な裏づけと思われるものが
続々出てきた、という流れのようです。

江上先生の騎馬民族説の独創的なところは、騎馬民族が戦いで入ってきたのではなく、
しだいに周りを馴化してゆき、地元の人にかつがれて支配層につく、という方法で支配を広げたのだ、とする考え方。
騎馬民族というのは、原住民を完全に仲間にしてから一緒に新天地に動いていく。
長城地帯に交易のための関市をつくることから徐々に中国に入り込み、北魏を建てた鮮卑。
直接の戦争はせずに、周囲の広汎な領土をみせつけることで中国を手に入れたフビライ・ハン。
などをその例として挙げています。

対する佐原先生の反論は:

・騎馬民族なら日本語にもっといろいろな家畜の呼び名があるはずだが、ない。
・内臓占いがない。
・高句麗にあった牛のひづめの占いもない。
・血の誓約という風習がない。
・動物の内臓に色をたとえる表現が日本語にない。
・去勢がない。
・生贄を捧げる風習がない。

などとなっています。

特に去勢がないことについては、時間をかけてお二人が議論されているのですが
佐原先生が「遊牧民には去勢がある」と証拠としてあげているすべての例について
江上先生がそれらは本当の純粋な遊牧民ではなく、農耕民と接触した遊牧民の行為であり、
もともと純粋な騎馬民族に去勢などない。としてしまっているために
議論がまったく平行線で終わっています。

あとがきで佐原先生も書いていらっしゃいますが、本書は江上先生の優勢で終わった
という読後感です。
江上先生の説に、ダイナミックなロマンと現地に赴いて肌身で感じた直感の裏打ち、
さらに遺跡からの出土品などがあるのに対して、
佐原先生の説は、全体のスケール感や現場感、考古学的証拠が欠けているような
印象を受けます。

単に偉大なる老先生を前に、遠慮が働いてうまく論を展開できなかったのかもしれません。 
佐原先生はこの後、『騎馬民族は来なかった』という本を書いて、反論を改めてまとめられたようです。

素朴な疑問として、今の時代、DNA鑑定など、より科学的な検証を通じて、
民族のルーツなどは解明できていたりしないのだろうか?
そちらの方面での研究の文献も機会があればあたってみたいところです。

数千年の時をかけて、民族が大きく移動して、文化や文明を刺激して、進化させてきた。
その延長に我々がいる。
人類史は、なんてロマンチック。

古代日本史の通り道として、九州という舞台があった、ということに
胸を躍らせつつ、これからもいろいろな九州の地を訪れたい、と思います。




騎馬民族国家?日本古代史へのアプローチ (中公新書)
中央公論社
江上 波夫

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
歴史にはロマンがありますよね。
教養の少ない私にはさっぱりわかりませんが。
ジガー2
2009/07/26 19:16
こんにちは。お久しぶりです。
豊洲病院の松尾です。
アドレスがわからなくなってしまいました。実は先日大分にいました!
hiro
2009/08/04 14:16
ジガー2さん、こんにちは。
分からないところを想像で穴埋めするところに、ロマンがあるのかなと思います。
そして、明らかになった史実が 想像を超えているとき、さらにロマンチック!
maxi
2009/08/09 10:39
hiroさん、こんにちは。
書き込みありがとうございます。
お久しぶりで、びっくり! 思い出していただけて光栄です。
maxi
2009/08/09 10:44

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